祖父(俳句の先生)に感想を頂きました。

実家にて、俳句の先生でもある祖父から、さきがけの感想を頂きました。
95歳認知症(要介護2)ですので、事細かには聞けていませんが、参考程度に読んで頂けると幸いです。

■基本装丁

大変立派である。
※父と母からは「文字が小さすぎる」と苦情。会社の同僚からは「小説がみっちりつまりすぎて読みづらい。作品の間に休憩になるコーナーを置いてはどうか」と指摘。

■特別企画~父よ! 母よ!~

面白かった。

■俳句(掲載順に1~30とします)

1~5:説明のしすぎmである。(ただし5作品のどれをさしたのかは不明)
6~8:これはいいね。(どれを指したのかは不明)
9:「暖かや」と「外出」がどうして結びつくのかが分からない。説明不足である。
10:「ひときわ高く」は天高くととれ、これは夏の季語になる。「虫時雨」は秋の季語でもあり、露天とどうかかわるのかが分からない。説明不足である。
11:これはいいね。
12~20:説明しすぎている。情報をいれすぎだ。(どれをさしているかは不明)
21~23:うまい言い方だが、やはり情報が多い。
24:花粉症を否定し、春風だとどうや!という態度で説明する姿が、全て説明させてしまっている。俳句としてはあってはならない。
25~30:言い方はうまい。だが説明がやはり多い。

■祖父にとって俳句とは何か?

俳句とは、頭をよくしてくれるものであり、
人生を楽しませてくれるものだ

■俳句と心について

俳句というのは、ごく身近にある出来事をそのまま書き連ねるだけでいい。人の心は誰もが違うもので、同じ花を見て、全く同じ心を抱けないように、俳句を見て抱く心は人の数だけ違うものである。ゆえに、俳句はより多くの人に様々な解釈をさせてこそ価値がある。書き手の考え1つだけが読み手に伝わるような俳句は良い俳句ではない。読み手の心を無限大に広げさせてこそ俳句なのだ。